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相原信洋さんの思い出 その1

相原さん1983年

 時に、1978年。まだ、アニメーションというものを鑑賞するのに、テレビで観るか、劇場に行くか、「上映会」に行くしかなかったころ。

 その頃の私は、その何年か前から「アニメーションを観る」という事に、「飢えて」いた。

 劇場用長編作品は東映動画の黄金時代が去って久しく、テレビアニメの表現は欲求を満たすに足らず、録画も出来ず(「TV画面」を8mmフィルムで「撮影」するという事は一回やりましたが)、毎月一回発行される「プガジャ」の上映欄を頼りに、「アニメーション上映会」なら、なんでも探し求めては通っていた。

 どのくらい見境無く何でも観たか、というのを挙げていくと、門真市の青年会議所主催の無料上映会で、「タイガーマスク・劇場版」(「寅さん」と併映。この寅さん、中々面白かった。)、箕面スパーガーデンの大広間の無料上映で、東映長編「パンダの大冒険」、阪神パークの無料映画館(今はなき「阪神パーク」の中にあり、ディズニーのアニメ・実写の長編などをかけていた。)で、「バンビ」、近所の今はなき「庄内東映」の「まんがまつり」で、「長靴三銃士」(これに出てくる「アニー」という女の子が可愛くて夢中になった。)など、とにかくアニメーションと名のつくものは全部観ていた。当然、その頃、北市民教養ルームや六甲あたりで開催されていた、大使館フィルムなどの自主上映などにも全部顔を出していた。

 さて、そういう中で、京都の西部講堂(今でも、変わらぬ姿であるようだ)でのアニメーション上映会に出かけていった。寒い季節だったと思う。バイクで西部講堂前の駐車場に入っていき、バイクを止めて会場に歩いていくと、会場の前にちょっと変わった「青年」が立っていた。その「青年」に、ちょっと高いかすれた声で、「映画を観に来られたんですか」と声をかけられた。その「青年」が相原さんだった。

 この頃の相原さんは、ちょうど「カルマ」を完成されたあたりだった。でっかい16mmのリールを何本か持って映写機の横に立ち、自分で映写機を回されていたと思う。上映の前後にはちょっとしたトークがあった。「STONE」や「やまかがし」などの作品は、当然の事ながらさっぱり当時の自分には理解できず、呆然としながら観ていたのを覚えている。この「カルマ」は、その後も上映会の度に観る機会があり、何回か目に「わかった!」と思った時は欣喜雀躍したのも覚えている。こういう、実験的な映像というものは、若い頭の柔らかいうちに無理矢理でも何回か観ていくと、そのうち判るようになるものだと思う。(この「判る」というのは、観て面白いと感じる、感動する、という意味です。)

 この時は、作品はさっぱり判らなかったが、とにかく「プロのアニメーター」の方を観るのは初めてだったので、「おお、これがプロのアニメーターの人か」と思って観ていた。(当時、相原さんはOH!プロで、テレビアニメの動画を描いていた。「元祖天才パカボン」のタイトルでよくお名前を拝見していた。)

 これが相原さんとの出会いの思い出である。写真は、数年後、京都の拾得での上映会時のもの。右から、相原さん、私、アニメ塾の山元さんと梶山さん。相原さん、若い!
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Author:かにの社長
1974年頃より自主制作アニメーションを作り続けています。自称「自主アニメの岩田鉄五郎」、最長不倒記録を更新中。

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