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パララックスとの戦い

 作品のタイトル、ではない。

 その頃の自主制作アニメーションに用いられた8mmカメラはたいていは一眼レフ形式となっており、撮影用のレンズを通って来た光の一部をハーフプリズムでファインダーに導くようになっていた。ズームレンズを操作すると、ファインダーの中の画面も望遠になったり、ワイドになったりした。「ファインダーで見たままがそのまま写る」というのが売りだった。

 実写ならば、ほぼそれで間違いはなかった。

 8mm映画のフィルムは8mm幅、一コマの画面は約幅6mm高さ4mmである。ここに写り込む映像は、実は、ファインダーで見るより、広く写っている。ファインダーで見ているのは、実際に撮影される画面の一部分なのである。しかも、どのくらい広く写るかは機種によって微妙に違い、同じ機種でも、機械によって微妙に異なっていた。また、上下左右にも微妙なずれがあるのである。
 という事は、ファインダーをのぞいて画面の位置を決め、撮影しても、現像が上がってくると、撮影しようとしていた画面と若干ずれたものが写っている、という事になる。

 実写ならば、ファインダーでのぞいた画面の外側にも被写体はあるから、若干ずれて広く写っても、ほぼ見た通りのものが写ってくれている。
 しかも、8mmフィルムを映写機にかけて上映するときには、マスクがかけられて、フィルムに写っている画面よりも若干小さく切り取られて上映されるので、(このマスクの位置は上下に調整できるが、左右方向は固定である。)ほぼ見た通りが上映されると思っていい。

 ところが、アニメーションの場合は、特に平面の描きアニメの場合は、被写体の絵は、撮影画面ぎりぎりしか作っていない。幅20センチの絵の場合、上下左右の余裕は1センチくらいしか無いのが普通だ。そして、画面の上のすぐ外には、タッブの穴が空いているのである。

 当時の自主制作の作家は、たいてい、「アニメを作るぞ」というので8mmカメラを買い込み、取り扱い説明書やアニメ入門書を読みながらカメラをセッティングし、素材を置き換えてコマ撮りし、現像が上がって愕然とした、という体験を持っている。

 8mmフィルムの現像は一週間くらいかかった。最も早かった時期で2-3日だったと思う。カメラ屋にフィルムを持ち込み、一週間わくわくして待ち、出来上がるが早いかカメラ店に駆け込んで現像の上がったフィルムをもらい、家に帰って袋を開けて箱を開け、映写機にフィルムをかけて回してみると・・・なんと、画面がずれてタップが写っているではないか!

 ここで、作家は決断をせねばならない。これではダメだ、撮り直しをしないといけない。おっとフィルムを買う金がない、現像料もない。作った時にきちんと並べてあった素材は撮影の時にぐちゃぐちゃになって積み上げたままだ。大体、今から撮り直して現像に出しても、上映会に間に合わない・・・間に合わない?!!

 ええい、このまま出しちゃえ。

 と、言う訳で、初期の8mmの自主アニメ上映会には、絵の端っこが写ったのやら、タップが写ったのやら、画面全体が暗い(露出不足)、全体が明る過ぎて白く飛んでいる(露出過多)、なぜか「手」が写っている(失敗)という作品が続出し、観客も自主アニメを作った事のある「優しい人」が大変多かったので、「ああ、これは撮影が大変だったのだな、本当はこういう画面が作りたかったのだな」と、想像力で画面の足りない部分を補いつつ鑑賞する、というのが普通のパターンだった。

 この、画面のずれ(これがパララックスだ)、露出の過不足、撮影の諸失敗との戦いに勝利する為には、カメラを買った際に、フィルム一本使って、画面のずれがどのくらい出るか(目盛り付きのテストチャートを作る)、各露出段階の写り具合(半絞りずつ、実際の素材で撮影する。画面に露出値と照明のメモを一緒に写し込む)を確認してデータを残しておく。
 そして実際の撮影時には、画面のずれ分を見込んであらかじめその分ずらしてセッティングし(これが意外に勇気が要る)、露出は最適値に固定しておく。
 その上で、撮影場所には十分な余裕をもたせて、事前に出来る関連作業は全部すませておいた上で、ゆったり撮影作業する事が必要なのだが、アニメの入門書にも、カメラの取説にも、「事前にテストしておきましょう」と書いてある位で、何をどうするかは書いていないのである。

 しかも、当時の自主アニメの作家は、たいてい、「一本だけ」の人が多く、「アニメの撮影は大変だ」という思い出を残して消えて行かれる事が多かった。アニメは絵を何百枚も書くのが大変、という事もあったが、この撮影の大変さに挫折した人も多いのではないか。何しろ、8mmフィルム一本、3分20秒の撮影に、3600回シャッターを切らなければならないのだ。しかも、その間、素材の置き換えをいちいち行わなければならない。ものすごく疲れる作業であった事はまちがい無い。

 現在では、「モニターで見た画面がそのまま写る」「撮影した結果がすぐ確認できる」という時代になっており、「パララックスとの戦い」は無縁のものとなった。しかし、あの当時の一発勝負の撮影の緊張感、サークルでのグループ撮影の連帯感などはフィルム撮影独特のものだった。この時代を生き残ったかっての自主作家たちの多くが教育や制作の現場で活躍しているのは、偶然ではないと思う。
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アンケート総集編

 今はネット上に作品を上げて、見た人のコメントをもらい、反応を知る、という事が一般的になっているようですが、パソコンもネットもケータイもない70-80年代には、いったいどうしていたのでしょうか。

 実は、「アンケート総集編」というものが存在していて、ちゃーんと観客の反応が作者に伝わる、という仕組みが作られていたのです。これは、「上映会場で、観客にアンケート用紙を配る。」「配られたアンケート用紙に、上映の合間、または上映後、観客が上映会全体、または作品毎の感想を記入する」「上映会主催者は、アンケートをまとめた小冊子を作り、作者に送る。」というものでした。定期的な機関誌を持つサークルは機関誌に掲載したりもしていました。

 ほぼ上映会主催者と出品者のみに配られるものだったので、一般には知られていませんが、「これをもらう為に上映会に出品する」という、作者にとってのモチベーションの源でした。全国に散らばる作者が、すべての会場に足を運んで観客の反応を直に見る事はできませんし、また、観客席で「おーっ」という声が上がっても、細かい感想までは聞けませんので、作品の反響の記録として貴重なものでした。

 自主アニメの公開上映会が始まった頃は、上映会主催者=制作者である事が多かったのですが、上映会が大規模になり、全国でリレー上映されたりするようになる頃には、上映会の主催者と、作品の出品者が別々になり、作者は作品を出品するだけ、主催者は上映するだけという状態になりかけていました。

 この為、全国リレー上映会の出品者でかつ上映会主催側にいた人の発案で、「アンケート総集編」を作って作者に会場の反応を還元する、という事になり、80年代初めに始められたものです。

 ただし、すべての自主アニメ上映会で作られていた訳ではなく、作者寄りの姿勢を持つ上映会に限られていたようです。しかし、これがもらえる上映会ともらえない上映会では、作者の出品の意気込みも違います。

 最近では、横浜の大動画上映会と、札幌の小アニメーション大感激祭がこのアンケート総集編の出品者への配布をずっと続けていただいています。

 

王の剣

 STUDIO MACK 1981年制作、宮沢俊哉演出、セルアニメ、上映時間45分。1985年のAAPA9でリバイバル上映された。
 普通の自主制作アニメが3分くらいの作品も珍しくない中、45分というのは別格の大長編である。(別の資料によると、この作品の上映時間は49分となっている)しかも、手間のかかるセルアニメである。ちゃんと音楽・セリフも入れてある。物語の舞台は巨人が登場し、剣と魔法の世界、冒険を描いたヒロイック・ファンタジーだ。

 上映後、監督の宮沢氏は感慨深げに作品を振り返っていたが、この作品の制作にかかった時間と労力を考えれば当然の事だろう。だが、観客の反応はまた別だった。長過ぎるとか、テンポが悪い、編集で半分程度に削るべき、などという声が多かった。味方の巨人が次々に倒されて死んでしまうシーンなどはなかなか叙情性もありよかったように覚えているが、全体に、特に意味もなくキャラクターがじーっと止まっているシーンが多かった。

 この、STUDIO MACKという自主制作グループは、「よくわかるストーリーのあるセルアニメ」を作る事にたけていて、「なんでも修理屋さん」というセミホラーの短編などはきちんとまとまってはいたのだが、この作品については、作ろうとしたものが大き過ぎたようだ。

 制作プロセスも、企画を考え、脚本を作り、絵コンテを作って、動画と背景を作り、撮影して編集し音を入れる、という段階をきちんとふんではいたのだろう。(とにかく出来上がったのだから)

ところが、絵コンテを元に動画を描いてタイムシートを作る段階で、細かく演出的にコントロールする事ができず、「絵コンテの指示とおりの時間を埋めて行く」という作業になったのではないか。それで出来上がった個々のカットを順番通りに積み上げてみた所、全体の映像が出来上がり、その絵にそのまま音をつけて完成、にした所、こういう事になったのだと思う。

 「マンガ」であれば、読者が読むスピードをコントロールできるが、「アニメーション」は作者の提供した時間をそのまま観客は受け入れざるを得ない。止まっている場面が多い、と先に書いたが、必然性があって止まっているのであれば別に何の問題も無い。「エヴァンゲリオン」は動く部分はきちんと動くが、止まっている場面はあきれるほど止まっていて、かつ画面に緊張感を持たせている。

 作り手がある場面を観客に示す。観客は何か考えるだろう。主人公が何か投げたら、「その投げたものはどうなったのか」と考える。次の場面で、投げたものがどこかに落ちる。投げた時の勢いと、投げてから落ちるまでの時間から、「ああ、この位の距離に投げたのだな」と思う。ところが、観客の感じた距離感と、劇中の距離感が合わないと、「あれ?」という違和感が生じる。「主人公が投げる」カットと、「投げたものが落ちる」というカットをただつなぐのではなく、「投げてから落ちるまで」の時間をきちんとコントロールすべきだろう。

 あるいは、登場人物が何か意外な事をしゃべる。周りのキャラクターは驚く。このシーンでも、しゃべった後、すぐに全員「えーっ」と驚くカットにつなぐのか、しゃべった後しばらくしゃべった人物の止めが続いて、カットが切り替わると「全員言葉もでないほど驚いている」カットにつなぐのかでその後の展開が変わってくる。しゃべり終わってしばらく止めが続き、カットが切り替わってからようやく「えーっ」と皆が声を上げて驚いていたのではおかしいだろう。

 絵コンテで1カット5秒とあれば、8ミリで秒18コマで作画すると90コマになる。しかしこの場面は本当に5秒なのか、5秒6コマではないのか、4秒11コマではないのか、カットの中の動きはどこで終わるべきなのか、あるいは動きながら次のカットに移るのではないか、という事をつきつめながら作るべきであろう。

 作者は一方的に観客に完成した作品をみせるのだが、作りながら、「このカットを観て観客はどう思うか」「観客は次に何を期待するか」「その期待通りのものを見せてスムースに進めるのか」「意外なものを見せてびっくりさせるのか」「このカットはどこで始まってどこへつなぐのか」という事を常に考えないと、観客が話にのってこれないだろうな。

 という事で、「ストーリーのある映像の演出」について、考えさせられた作品でした。

おはよー! TAIYO-SAN

AAPA上映会場風景
 (上はAAPA12 上映会場風景です)

 1985年、AAPA10上映。8mm 上映時間 1分。制作 TENPURA-UDON LABEL。
 この作品が上映された「AAPA」という上映会は、神戸の同名団体が自主制作アニメの振興のため開催していた上映会。当時は高校生の出品が多かった。この上映会にはその頃までよくあった「セルアニメ至上主義」的な部分があり、ペーパーアニメの動画(もちろんそのまま撮影する)を「紙セル」と呼んだり、ペーバー作品の作者に「次はちゃんとセルで仕上げますか」などというコメントを付けたりしていた。

 この「セルアニメコンプレックス」というべきセルアニメへのこだわりは特に初期の自主アニメ初心者にはよく見られ、動画だけでは未完成、動画の出来はあまり良くなくても、セルにトレス彩色して撮影すれば感動的な作品が作れる、と言う思い込みがあるのでは、と思わせるほどだった。当時は、一般アニメ入門書のアニメ作りのプロセスには必ずセル仕上げが入っており、セル仕上げが当然で、「セルアニメが本物、ペーパーアニメは代用品」と思われていたふしがある。また、その頃、普通のアニメファンに商業アニメのセル収集ブームがあり、セルは単なるアニメ制作プロセスの中間生産物ではなく、それ自身が独立した価値をもつコレクションとして扱われていたのもその原因の一つかと思われる。

 ところで本作品は、動画用紙に直描きのペーパーアニメ。初期の宮崎アニメキャラに似た少年がメカに載って、くるりと振り返ると太陽が昇って「おはよー! TAIYO-SAN」で終わり、という単純な作品だったと覚えている。
 絵は達者、動きもなめらかだが、内容は別にどういうことのない作品。ただし当時の自主アニメの中では技術的な完成度の高さを感じさせる作品だった。
 しかも、作者は当時高校生である。
 ほお、いいじゃない、という事になりそうだが、この高校生が、その年夏の第一回広島国際アニメーションフェスティバルの予選を通過し、デビュー賞を受賞していた、という事になると話はまた違ってくる。(作者があえて「TENPURA-UDON LABEL」名で発表した作品のため、ここでは氏名は記載しません。)
 事情を知るメンバーの中では、あのデビュー作で、なんでこの作品なの? という声が出たそうだ。(ただし、AAPAの方はご存知なかったらしい。) 私も別の上映会でかけるためにこの作品を借りて観たのだが(AAPAでは観ていなかった)、「同じ作家の作品とは思えない」というのが正直な感想だった。

 もちろん自主制作だから、誰が何をどう作ろうと本人の勝手だし、作りたくなければ作らなければいい、というのも自主制作である。このあたりが難しい所で、作者により良い作品を作らせるのが正しい自主アニメ評論なのか、作者の作りたいものを作れというのが自主アニメ評論なのか、そもそも自主制作のより良い作品とは何なのか、という話になってくる。(筆者の意見では、「作者の作りたいものを作る事がより良い作品作りにつながる、ただし作者が自分が本当に作りたいものかわかっているかどうかが問題だ」という事だが)

 この作者、知り合いに聞いた所では、87年の広島フェスにも作品をエントリーしたが、予選は通らなかったらしい。しかし広島のレギュレーションを考えると、応募作品は「おはよー!」ではなく、別の新作だったと思われる。
 その後、この作者がアニメーションの作品を作って発表したという話は聞かないが、この作品は筆者が「自主制作アニメ」についておおいに考えさせられた作品ではあった。

Dr.ラムダのスペースオペラ

 1978年 第四回PAF(プライベート・アニメーション・フェスティバル)上映作品。毛利和昭 GROUP MUCK制作。上映時間3分。
 上映が始まると、当時よくあった線描き・無着色ののペーパーアニメの「作品の一部」が始まった。当時は、セルアニメを作ろうとして、紙の動画は描いたものの、セルにトレスして彩色する事ができず、やむをえず紙動画のまま撮影して上映、という作家・グループは決して珍しくなかった。
 現在では、紙に描いた動画をスキャナーでパソコンに取り込み、ワンクリックで彩色してしまえるが、当時の本物のセル作業は、動画にセルを重ねて、アニメ用ビニール絵の具をペンにつけて手書きで転写、ひっくり返してビニール絵の具をセルにのせる様に彩色して行くというおそろしく手間のかかったものだったのである。
 しかもこのセルというものが、安いところで一枚35円、高い店では50円くらいした。当時、普通の動きのアニメを3分くらい作ると最低500枚位動画は要るし、AセルBセルに分けるともっと枚数はかかるから、セル代だけで2万円くらいかかる計算になる。この他アニメ用絵の具というのも、下が透けて見えないようたっぷり厚めに塗らないといけないので、結構お金がかかったはずである。
 という訳で、この頃のアニメは紙に描いた動画に直接彩色したペーパーアニメが主流で、セルアニメはほとんど動かないか、一部のみセルであとはペーパーアニメ、という作品が堂々と横行していた。
 また、途中で挫折した作品がまた多く、途中まで出来上がって撮影した作品を「○○予告編」として上映する、という事も珍しくなかった。(未完成とはいえ、大変な手数をかけた映像を上映しないのはもったいない、と言うことだろう。気持ちは分かります。)
 という訳で、「またか・・・・」という観客席の予想を裏切り、突如全編セルアニメの本編が始まったのだ。しかも結構よく動いている。音もセリフもちゃんとつけてある。
 話自体は大した事はなかったようで、あまり覚えていない。博士と助手と女の子が出てくるSFものだったと思う。ワンピースを来た女の子が敵のマジックハンドに襟首を掴まれ、パンツが見えない様に必死にスカートの裾を引っ張るシーンが記憶に残っている位。
 そうこうしている間に無事エンドマークが出て、「全部完成しているセルアニメ」であることも判明した。
 上映後、「アニメ学校の先生が生徒を動員して作らせたらしい」という噂が会場を流れていたが、真偽の確かめようも無い。しかし、現在、この作者名をネットで検索すると同名のアニメーターがヒット、この時期にアニメ学校を卒業しているようだ。という事はこの作品、アニメ学校の卒業制作だったのだろうか。PAF4 上映リスト

自主アニメーションの記憶

 先日、アニメ学会の大会で「70年代から2000年代までの自主制作アニメ」について発表をしました。
 その折、参加者の方から、「70年代を知っているのは小谷さんだけだから」と言われ、「「そんな事は無いだろう」と思いましたが、現役自主アニメ作家としては最古参になってしまっているのは事実です。
 現在、パソコンを使ってアニメーションを作るのは本当に簡単な時代になってきましたが、手作りの機材を使って手探りで技法を開発し、稚拙であっても情熱にあふれた70年代から80年代の熱気のこもった作品の記録を誰かがなにかの形で残すべきだろう、という事でこのブログを始める事にしました。
 当時の事で、ビデオもデジカメもなく、限られた資料と記憶による紹介です。また、作家と作品の選択については、優れたもの、歴史的価値のあるもの、という事ではなく、なんとなく記憶に残っている作品を紹介して行く事にしました。
プロフィール

かにの社長

Author:かにの社長
1974年頃より自主制作アニメーションを作り続けています。自称「自主アニメの岩田鉄五郎」、最長不倒記録を更新中。

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